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第24回

放射線は生命を解くための鍵

京都大学大学院生命科学研究科附属放射線生物研究センター
特任教授
渡邉 正己

 人類が原子力の存在を知ってから高々100年余りを経たにすぎませんが、原子力の本質を明らかにしようとする研究活動によって「原子力は、放射線エネルギーであり、放射線エネルギーが宇宙万物の源である」ことが明らかにされました。この発見によって、私達は、(1)ひと、植物、鳥、星など宇宙にあるあらゆるものがビックバンで解放されたエネルギーで作られた原子でできていることと(2)原子には途方もないエネルギーが秘められていることを知ることになりました。物理学の分野では、エネルギーは、mc2あるいはhvと示されます。E=mc2は、有名なアインシュタインが示した質量とエネルギーの関係式であり、E=hvは、光のエネルギーを表す式です。簡単にいえば、物質とエネルギーは同じもので相互に変換できることを表しています。その意味で、質量のある物質を ”色”、 質量のない光(エネルギー)を ”空” と表し「色即是空空即是色」と説いた般若心経の一説は、最先端の原子物理学そのものといえます。なぜなら、万物は、エネルギー(空)と物質(色)の間をゆききすることができ、どちらが主体であるということはなく、ビッグバンに始まりブラックホールに終える宇宙の一生を表わす言葉だからなのです。古に自分を見つめた賢人(お釈迦様)が、その修行のなかで辿り着いた結論と近代的実証科学の結論が同じであったことに感動を覚えます。

 この現象に関して、シュールリアリズム派の画家サルバドール・ダリも興味深い作品を残しています。その絵は「ラファエロの頭の爆発」と名付けられ、人間のからだが頼り無さげな小さな断片になって剥がれてゆくように描かれています。そして、人間の頭のてっぺんに、ヨーロッパの古い教会のドームらしき屋根が描かれ、そのてっぺんの丸い孔を通して(天国からの)虹色の光が教会に差し込んでいるように見えます。ダリは、ひとの身体は、一見、独立して存在するように見えるけれど、実は、原子のレベルで見れば宇宙と境界が無いことを表しました。さらに、その絵には「Human being is more powerful than cyclotron」という説明が添えられており、ひと一人の体に途方も無い数の原子が存在し巨大なエネルギーが秘められているという「原子力の本質」を見抜いていたようです。 


 さて、話を戻しましょう。これまでで紹介したように「宇宙万物は、放射線エネルギーでできている」ということから、原子力を対象とした研究が「科学」をすることの意味を示す好例となると思っています。放射線生物学の研究で得られる結果は、生命の存在の仕組みを解き明かすうえで極めて重要な知見になるということです。哲学者が命題とする “私はなに?” という単純な疑問は、最先端の生命科学者が持つ疑問 “生命はなに?” と全く同じものといえます。この疑問に対する解答は、“生命は、エネルギーそのものである” と答えることができます。エネルギーは、原子を作り、原子は分子を作り、分子は、さまざまな高分子を作り物質を形作るのですが、生命を含めた宇宙万物にその例から漏れるものはありません。そして、生命が尽きると、私達の体は、分子、原子と分解し、最終的にエネルギーに戻ってゆきます。したがって、生命が存在するということは、一連のエネルギーの流れのなかでエネルギーの存在形態が物質化しているに過ぎないことを理解できるのではないでしょうか。

 生命は、地球上に生まれ三十六億年の間、温度、圧力、放射線といったさまざまな物理化学的要因に満たされた環境で生き、進化してきました。それらの物理化学的ストレスから切り離されて存在したことはないと断言できます。言い換えれば、そうした「環境要因との間でエネルギーのやり取りをする営み自体が生きていること」にほかならないといえるでしょう。宇宙は、ビッグバンの後、膨張を続け、温度が絶対零度に近づいてゆきます。その状態を、エントロピーが増加するといいます。しかし、地球上の生物は、宇宙の法則に逆らって存在しています。すなわち、植物は、太陽から届く光エネルギーを葉緑体でグルコースに変換し、細胞の中にエネルギーを溜め込みます。動物は、植物を摂取して植物に蓄えられたグルコースを分解して活動エネルギー(ATP)を作ります。この一連の現象をエルビン・シュルディンガーは、地球生物は、負のエントロピーを食べていると表現しています。このように、生物は、細胞膜で囲まれた極めて狭い空間をつくって、宇宙の法則に逆らった自立的な環境を作り出すために進化を続けているといえます。しかし、生命は、未だその完全能力を獲得できていません。おそらく永遠に到達できないと思います。しかし、自然放射線レベルに近い低線量の放射線に対する生体の応答反応の仕組みは、生命が生きながらえるために必死に獲得した能力であり、生命現象そのものと捉えるべきであり、そのリスクを問うことに余り意味はないでしょう。このことをしっかりと理解しておかないと、自然放射線を必然的に浴びながら生きていることが基本であることを忘れてしまい放射線ゼロの世界があることが前提になって放射線影響を理解してしまうことになるからです。この間違いが、福島原発事故後、一般の方々を一番不安に追い込んでいるのです。

 こうしたことを考えると放射線(エネルギー:hv)と生命(物質mc2)は互いに切り離せない存在であり、生命の本質を知るためには、おそらく原子核物理や宇宙科学と同じように量子生物学といった視点での解析が必要になると思います。これまで、生命現象は、電子の動きに支配される化学反応で営まれているとされていました。その場合、反応が進むためには、活性化エネルギー以上のエネルギーが必要となります。将棋の対局で、コンピューターがひとに勝つ時代になってきましたが、現在、主流のコンピューターでも、将棋を打つためにどうしても冷却せねばなりません。コンピューターは、その稼働に電気を使い、電流のオン・オフ記憶記号として使っていますので、パソコン稼働時に電気抵抗による発熱が避けられないからです。一方、ひとは、頭が沸騰するという表現は使いますが、かなり複雑な働きをしても、パソコンのように冷却しなくても十分に対応できます。おそらく、ひとの頭の中では、活性化エネルギーがいらない反応、いわゆる量子のトンネル効果が主体の未知の反応があるのでは無いかと予想されます。最近、量子コンピューターという言葉を耳にすることが多くなってきましたが、エネルギーのロスがない人間の脳に近いコンピューターとして期待されています。

 最近、私の研究グループは、放射線による発がんに関与する因子が、OHラジカルやHラジカルなどの活性ラジカルではなく、常温でも安定(半減期20時間)な有機ラジカルであることを発見しました。そして、その発がんは、ビタミンC処理で有機ラジカルの発生を抑えることで抑制することができることを発見しました(http://rbnet.jp/shiryo/kibanS16.pdf)。そして、この有機ラジカルの消去過程には、プロトンの引き抜き反応が関与し、その反応速度には重水効果が顕著に現れることから、トンネル効果が関与していると予想しています。おそらく、常温の生体内で量子反応(トンネル効果)が実際に働いている初めての発見だと思います。このように、量子生物学が展開されると、現在では、まだ科学研究の土俵に十分に上がっていないテレパシー、気功などの仕組みに加えて、脳の働きといった問題が生命科学の俎上に登るようになると思われます。

 最近の放射線生物学の研究によって、自然レベルの放射線量(数十センチグレイ以下)を被ばくした場合とそれ以上の線量の放射線を被ばくした際に観察される生体の応答反応が大きく異なっていることが明らかになってきました。勿論、低線量の放射線被ばくを受けた細胞の応答反応が、その細胞の運命にとってどのような意味があるかは、いまも総てが明らかにされている訳ではありません。しかしながら、低線量の自然放射線を生命から切り離すことができない限り、その線量域における生体の応答反応は、生命のストレス応答現象そのものであり“生命とはなにか?”に迫る鍵となる生命反応であると考えられます。

 この意味で、私は、「放射線生物学は極めて魅力的な分野であり、低線量放射線の生体影響の研究は、まさしく生命の根源を解き明かす重要な鍵になる」と思います。原子力や放射線の問題は、ともすれば、危険かどうか?という観点で話されることが多いのですが、実は、ひとの存在を科学するために必須なものであって、ひとが胸を躍らせる研究対象であることに注目してもらいたいと思います。私たちが若い頃、鉄人28号やアトムに夢を描いたように、そして、その子供たちがドラえもんを好きになったように、若い人たちが原子力や放射線について興味を持って未来を開いてくれることを願います。

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