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第19回

「生きる力」の育成が求められる時代の放射線教育

滋賀大学大学院教育学研究科
教授
藤岡 達也

 令和2年度から,新学習指導要領による教育課程が小学校より順次全面実施され始めた。「生きる力」の育成を謳った学習指導要領は,今期で3度目となる。「生きる力」という言葉は「阪神淡路大震災」発生後の平成10年版学習指導要領改訂時に登場した。当初,「生きる力」とは何かについて,教育現場では,新たに誕生した「総合的な学習の時間」の教育実践と共に様々な戸惑いと模索が生じた。つまり「いかに社会が変化しようと,自分で課題を見つけ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,・・・」が掲げられた中教審答申以降の教育の内容・方法の具現化についてである。

 「生きる力」とは何かの問いかけは教育界以外からも上がり,それに応じて平成20年版学習指導要領では,より理論構築され,一層その重要性が指摘された。ところが全面実施直前の2011年3月11日に東日本大震災が発生し,東北地方を中心に教育現場は混乱に陥った。その後,平成29年版学習指導要領が実施される前に,新型コロナウイルス感染症の影響によって,学校・教職員は子供たちが登校さえできない状況での対応に追われた。皮肉にも先述の「いかに社会が変化」の時代に生きていく子供たちにどのような教育が必要か,教育そのものが大きな課題を突き付けられている。

 これからの時代は,知識の集積だけで問題を解決することができない。科学・技術・社会の相互関連を取扱う教育の重要性はこれまでも指摘されてきた。これらの関連から生じる問題は正解が一つだけとは限らず,場合によっては正解が存在するのかどうかも不明である。何よりも課題そのものを自ら見つけ出す必要がある。科学技術と社会との関連した問題はそれぞれの発達や発展によって解決されると期待していたこと自体が違っていたことも多くの人は気付き始めたと言える。

 また,これまで,科学技術への取組は専門家だけに任せておけばよいと考えられていたが,必ずしもそうではないことが明らかになってきた。医療の世界ではインフォームドコンセントが一般的となり,セカンドオピニオンも勧められるようになっている。つまり専門家(医者)は,一般人(患者)に対して,置かれた状況や治療の方法,そのリスク等を理解できるように説明しなくてはならない。一方,患者は不明なこと不安なことがあれば,納得がいくまで尋ね,場合によっては別の医者に伺うこともある。この場合,患者にとって自分のことだけに医者に任せっぱなしにするわけにはいかず,今まで無関係と思えていた高度な科学的な知識すら理解しようとする。今日,科学技術と社会との関わりは深く,自分たちの生活も,インフォームドコンセントが求められる内容となっている。自然災害への防災・減災,環境問題やエネルギー問題,いずれも自分自身に直結する。ただ,専門家の知見の正確性は範囲が限定されており,最終的には,各人の意思決定に委ねられ,個人の価値観に依存することが多い。その場合,個人と個人,社会と社会等によっても価値観が異なることも珍しくない。そこでは,合意形成が必要となる。

 言い換えれば,これまでの学校教育では,100%確実である知識・技能を系統的に学習者に与えればよいのであり,教育内容・教育方法が明確であった。大人の世界でも価値観が異なることは取扱う必要がなかった。しかし,今日では,従来の教科教育にあてはまらない教育が増えつつある。環境教育,道徳教育,情報教育,キャリア教育,さらには健康教育,安全教育,消費者教育なども見られる。いずれも現在においては無視することが不可能な内容であり,これらを取扱うことが求められる学校や教員はたまったものではない。ただ,これらの教育には共通点がある。それは,従来の教科教育が,知識・技能を習得することが重要であったのに対し,それらを実生活や将来の自分の生活等にも学んだ結果,行動として示されなくてはならないからである。当然ながら,教員側も評価は難しくなる。知識・技能の習得を問うことは容易であるが,成果としての行動を評価することは困難である。そもそも教育活動にはねらいがあり,それが達成できたかどうかを評価することが求められるが,上で記した様々な教育にはねらいがあっても,具体的な評価項目で表すことと自体にも難しさがある。

 現在の学校教育の中で,教科教育には,これまでの取組を踏まえた内容・方法が確立されている。それらは法的拘束力を持つ学習指導要領というナショナルカリキュラムに明確に示されている。ただ,発達の段階も意図したり,各教科の整合性があったりするため,取扱いは容易ではない。放射線教育はその典型的な例であろう。新学習指導要領では,現代的な諸課題の一つとして放射線教育が上げられている。教科横断・総合的な内容として扱う意義は述べるまでもない。しかし,カリキュラムマネジメントを考えるにしても小学校理科では取扱われない現実がある。カリキュラムマネジメントの展開としては,開かれた教育課程とPDCAサイクルがキーワードとなっている。しかし,放射線教育は,むしろOODAサイクルの観点がより重要であると考える。OODAサイクルとは,観察・状況把握(Observe)- 情勢への適応・行動の方向づけ(Orient)- 意思決定(Decide)- 行動(Act)によって,適切な意思決定を実現するものであり,理論の名称は,これらの頭文字から命名されている。放射線教育はじめ,自然災害に対する防災・減災教育,復興教育,などにおいて,この取組は,これからの先行き不透明な時代に生きていく子供達よりもむしろ,大人に備わっている必要がある。加えて,コロナ禍を過ごす児童生徒にとって大人になってからではなく,子供の時から,この視点も重要であることが指摘できる。

 さらに,近年国際的にもSTEM教育が注目を浴び,日本の教育界も動き始めてきた。今後の放射線教育もこの視点から展開される可能性が期待できる。

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