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第10回

「食と放射能」を知る ~人体影響を理解して~

横浜薬科大学 放射線科学研究室
教授
加藤 真介

 東日本大震災から10年が経過した現在でも、中学生、高校生を含む一般の方々を対象にした放射線に関する講義・講演の機会をいただいております。ここでは、ご依頼いただくテーマの一つである“食と放射能”について紹介させていただきながら、講演の中で私自身が心がけている点について述べさせていただきます。

 市場に流通している食品には、“食品の放射能基準値”、つまりその中に含まれる放射性物質(放射性セシウム換算)の基準値が規定されております。多くの方が、基準値を超えた食品を食べてしまったらどうなるのか、基準値ギリギリの食品は本当に大丈夫なのかといった不安を持たれていることと思います。そのため、基準値がどういう考え方で設定されているかを理解していただき、公表されている食品の放射能測定結果を自分なりに解釈できるような知識を講演の中で提供したいと考えています。

 まず、この基準値の成り立ちを理解する準備段階として、放射線の人体影響を知っておく必要があります。具体的な被ばく量とそれによって引き起こされる体の変化を知ることは、食品の基準値が被ばくによる人体影響をどのように参考にしているのかを理解する上で役立ちます。

 放射線の人体影響は大きく二つに分けることができます。

 一つは、過量な放射線を受けた時に体の細胞が死ぬことで生じるものです。脱毛が起こるとか、不妊になるといった放射線影響をお聞きになった方も多いと思いますが、これらはこれに該当します。食品の基準値を決めるときに、このようなレベルの被ばくは論外で、これよりもずっと低いレベルの被ばくが基準を検討する際の参考になっています。

 もう一つは、放射線によって体の細胞の遺伝子を傷つけられて異常な細胞が生まれ、それが増えることで障害に至る場合です。その代表的なものが発癌で、“被ばくすると癌になる”という話を聞いたことがおそらくあるかと思います。この発癌を引き起こす被ばく量の考え方を理解することは、日常生活の中で受ける少量の放射線と向き合うときに重要です。普段口にする食品中に混入してくる放射性セシウムを規制する基準値もこの中に含まれると考えていただきたいと思います。

 現在、少ない量の放射線が癌を引き起こすかどうかは、科学的には明確に確認できていないため、「可能性はゼロではないと考える」というのが国際的に共通な認識です。その可能性は、浴びた放射線の量が多ければ高く、少なければ低いというように確率的に考えることになっています。したがって、発癌に関してはこれ以下であれば安全、これ以上浴びたら癌になるという明確な線引きができないことを理解していただく必要があります。

 この考え方は以下の点が根拠になっています。

 広島・長崎の被爆者の方々の癌の発生状況が長年研究されており、大量の放射線を浴びた方は癌になりやすいようだという点。その一方、ある被ばく量以下では癌の発生率は増えていないという点。さらに、現在、日本では約半数の人が癌になりますが、一人ひとりの発症原因は不明で、少量の放射線を浴びたため癌になったかもしれないという可能性を完全に否定する科学的根拠がないという点。逆も同様で、放射線を浴びた場合、必ず癌になるという科学的知見も得られていないという点です。これらを踏まえて“放射線はどんなに少量でも浴びれば癌になる可能性はあると考え、計算上の確率を示せるようにする。ただし、この考え方はあくまでも一つの仮説であり科学的には証明されていない。”という考え方になっております。

 また、放射線の人体影響をお話しするときは、その障害が起こる被ばく量を、ミリシーベルト(mSv)という単位を使って必ず数値で示します。ある目安となる数値を示しておけば、それを基準にすることで、実際に被ばくした時の心配度が大きく変わってくると考えるからです。例えば、先に述べた体の細胞が死ぬことで生じる障害は、最低でも数百mSv被ばくしないと起きません。また、癌の発生率が増えるようにみえる境目の被ばく量は、100mSv程度とされています。このことを知っていると0.05mSv程度の被ばくとなる胸部レントゲン撮影に対するイメージはかなり違ってくると思います。

 さて、ここまでお話しして、ようやく冒頭の食品の放射能基準値の成り立ちの話です。食品の基準値は、単純化すると放射性セシウムで汚染された食品を1年間食べ続けたとしても、それによる被ばく量は1mSvを超えることがないように設定されています。この値は、1年間で自然界から受ける放射線の量に近いレベルです。つまり、放射能基準値を少し超えた食品を食べてしまったとしても、突然、何らかの障害が現れるわけではないことが分かります。なお、先の述べた通り、発がんの確率はわずかに増える理屈になりますが、あくまでも仮説に基づく計算上のものです。ここまで被ばく量と人体影響の考え方について理解を深めていただくと、多くの方が何となくもやもやしていたものが無くなったと言ってくださいます。中には、食品の放射能検査結果をみて、これくらいなら心配してもしょうがないとご自身の尺度で被ばくというものを考えるようになられる方もおります。

 このような講演において大切なことは、自分の考えや主観を述べないことだと思っております。それは、専門家と言われている人たちの中で認識されている事実や考え方を分かりやすく伝えることが重要で、本当のところはどうなのかという一般の方々の疑問に答える必要があると考えるからです。現在、正しいと考えられている知識をもとにマスメディアが流したり公的機関が公表したりする情報を、自分自身で考え自分なりの判断を下せるようになっていただきたい、という思いで講演をさせていただいております。

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