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第41回

心理放射能学で考えてみたら

首都大学東京 健康福祉学部 放射線学科 
大谷 浩樹 氏

 ―直ちに健康に影響が出るものではありません―この言葉を何度聞かされ、さらに不安感を大きくしたことでしょう。
 福島第一原子力発電所事故以来、なぜ、これほどまでに人の心を乱し、拒絶反応を引き出してしまったのでしょうか。科学的知見からものを言う専門家と呼ばれる方たちにも、大切な家族がいるでしょうに。私にも娘がいます。でも、子どもたちに「科学的に大丈夫」とは言ったことはありません。親である私にまずできることは、大切な家族に不安な顔を見せないことです。そして、「パパがいるから大丈夫」と言ってあげることです。今まで何度も放射能について解説しましたが、どんなに科学的に説明しても、過去のデータを示しても、市民の方々の不安は拭えませんでした。「安心しても、時間が経つとまた不安になってくるのです」と涙をためて言われました。
 このような現状に私自身も悩み、多くの方から切実な願いをいただきました。そして、ひとつの考えに至りました。それが心理放射能学の構想でした。心に寄り添い放射能の不安や対処を考えること。科学的根拠を知る専門的知識をもった者が、市民の方々の想いと願いをまとめ、心理的側面を支えていくこと。これが心理放射能学です。

【子育ち】…それは、子どもと一緒に育つこと。
 子どもと一緒に過ごす毎日は、世話をしているのではありません。大変なこともあるでしょうけれど、子どもの成長をゆっくりと見守り、子どもと一緒に親も育っていきましょう。そこには、親の視点からの「子育て」とは違い、大人も学んでいくこと。一緒に芽生え、気づきを得ていくことがあるのです。

 福島第一原子力発電所事故当時の公園でのできごとです。幼稚園に入っていないほどの女の子が、よちよちと歩いて来て、ジャングルジムに手をかけました。その時です。母親が駆け寄って、その子の小さな手を思い切り叩いたのです。そして、「何してるの。放射能が付くでしょ」時が一瞬止まった後、その子は大きな声で泣き出しました。幼い子に放射能などわかるはずもありません。叩かれた痛さに耐えられなかったのか、取り返しのつかないことへの戒めに見せた母親の鬼の形相に恐怖したのか。いつもは優しく、子どものことを第一に考える母親なのだろうと思いたい。わが子を思うが故にとった行動と思いたい。私たちにできる防御は、手を洗うことやうがいをすることです。これは、日常の生活の中で、子どもも大人もする習慣です。当たり前の行為が、子どもを守ってくれるのです。
 心理的な放射能の心配は、特に子どもに対して大きくなるようです。それは当然のことです。心配になっていいのです。放射能の大小ではなく、気にする人もいるし気にしない人もいます。心理放射能学は、成長していく親子に寄り添っています。今、子どもが育っていき、あらためて大人も一緒に育っていく。「子育ち」…これが私たちを支えてくれます。

 福島第一原子力発電所事故から一ヶ月経った後、東京の浄水場で放射性ヨウ素が検出されました。その時、水が売り切れる状況がありました。その日、私は娘を連れてスーパーマーケットに買い物に行きました。飲料品売り場に残っている水は2リットルボトル二本でした。そこへ生後数ヶ月であろう赤ちゃんを抱き、やっと歩いている程度の子どもの手を引いた若いママが近づいて来ました。「まだ、二本ありますよ。よかったですね」と思った瞬間、少し高齢の方が目にも留まらぬ速さで現れて、そのペットボトル二本を手にしました。空になった棚を見つめた若いママの落胆した顔。何も言えなかった私の口。
 今でも答えは見つかりません。あの時、どうして何も言えなかったのか。「一本だけでも、分けてあげてください」と言えばよかったのか。ペットボトルを手に取った方にも、家で幼い孫が待っているかもしれないのです。その孫を想う気持ちと若いママがわが子を想う気持ちに変わりはないでしょう。冷静に考えれば、そうなります。しかし、私はその場所で心を乱していたのです。
 このことは放射能の影響と考えられませんか。イライラしてしまうこと。子どもに強い口調になってしまうこと。これらも、もしかしたらその影響かもしれません。科学で証明できなくても、私たちの生活の中で感じ、気になることはあります。心理放射能学は、そのような葛藤があることを認め、小さなことがいずれ大きく影響することに対処していくものです。

 心はひとつだけでしょうか?不安な心、強く脆い心、優しい心…それぞれがあっていいのです。どんな人も悩みます。心が揺れます。だから、日本人は心を寄せ合うのです。人のことを思いやり、気を配るのです。その心ひとつひとつが支えあい、どんなことでも乗り越えていけるのです。放射能の知識をもった方や放射能を教える方は、今後は心理的側面を理解したうえで心理放射能学を伝えていかなければならないのです。

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