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第36回

放射線教育の現場で、先生が一番知りたいことは何ですか?

日本原子力研究開発機構 量子ビーム応用研究部門 研究主席
マイクロビーム細胞照射研究グループリーダー
小林 泰彦 氏

 東日本大震災と大津波で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。そして、今なお被災者の方々の生活の再建と地域の復興のために努力されている全ての関係者の皆様に感謝と敬意を表します。

 私は放射線生物学の端っこにつながる一人として、当初は原子力発電所の事故による健康への影響を危惧していました。その後のモニタリングやシミュレーションによって実際の状況が次第に明らかとなり、自宅からの長期にわたる強制的避難や広範な農水産物の出荷停止などの大きな犠牲を伴いながらも、一般の人々への放射線による直接の健康被害はまず無さそうだと分かってきたのは不幸中の幸いでした。除染の努力も一定の効果を上げているようです。それでも、放射線についての漠然とした、しかし大きな不安が、いまだに人々の心から消えていません。

 今回の原子力災害の実態は、放射線障害というよりは避難災害と不安ストレスでした。今から思えば不必要だった避難や過剰な出荷制限の害についてはさて置くとしても、放射線に対する過剰な不安と誤解は、被災者に追い撃ちをかけ、被災地差別や風評被害など復興を妨げる二次災害をもたらしています。あたかも被災地の子どもたちを心配するかのように装って執拗に恐怖心を煽り続ける一部の報道機関や流言蜚語を発信する自称専門家、自分の主張を通すためにデマを流し続ける運動家などが子どもたちとその家族にいわれの無い差別と絶望を強いていることに、深い悲しみと怒りを覚えます。その害悪を打ち消す役割を担うべき真っ当な専門家の力が及ばなかったことが悔やまれてなりません。

 事故の後、原子力への反感からか、科学をまるで悪のように言う人もいました。しかし私は、今回ほど科学の力を頼もしく感じたことはありません。皆様もそうではありませんか? よく知らないということから生じる不安や恐怖を克服し、根拠の無い噂やデマを退け、困難な事態にも冷静に適切に対処する自信を持てるようになる。これこそが科学の力であり、それを国民みんなで共有できるようになるのが理科教育、科学教育の目的ではなかったでしょうか?

 事故以降、恐怖心を煽る無責任な発言や節操を失ったメディアの誤った情報が溢れかえる中で、放射線と向き合って生き抜くために、子どもたちのために放射線教育に取り組まれた先生が大勢いらっしゃったことを知り、感動しています。そのような先生方をどうすれば応援できるのか、今、学校現場では、どんな助けを必要とされているのでしょうか? 先生が一番知りたいことは何でしょうか?

 放射線・放射能や人体影響に関する難しい概念を分かりやすく伝える方法、学年ごとの学習課程に即した教え方、子どもたちが興味を持ち易くすぐに授業に使える資料や教材、もしそういうことなら「らでぃ」のHPに実践紹介や資料集がありますし、指導計画や指導案までプロ中のプロによる実践例が掲載されています。

 科学の力を子どもたちの生きる力として伝えるために、教えることの何倍もの深い知識と洞察を優れた先生はきっとお持ちなのだろうと思います。放射線の健康影響の問題を正確に理解するためには、物理と生物の知識が必須です。環境中に放出されてしまった放射性物質の影響を考えるためには、化学と地学の知識も必要でしょう。レントゲンやキュリー夫妻による放射線と放射能の発見の歴史、原爆開発と広島長崎投下の不幸な歴史、冷戦下の核兵器開発競争と大気圏内核実験による地球規模の放射性汚染の実態などについても確かな知識なしには子どもたちに教えられないでしょう。

 わずかな放射線被ばくの健康影響のように、科学的なコンセンサスが得られていない部分が残る問題では、説明者によって表現が大きく違ったり、あいまいな表現になったりしがちです。そんな中で、科学的にまっとうな議論とトンデモ議論を判断しなければならないし、放射線影響研究や放射線防護のあり方についての最新情報を将来にわたってフォローして自分で理解できることも必要でしょう。

 もし、そのような知識の裾野の中で今ひとつ確信の持てない部分、先生ご自身で腑に落ちて理解していないと感じられるような部分があったとしたら、専門家との意見交換や討論を通じて知識を補強し、納得していただくお手伝いができるかもしれません。そういうことならばお役に立てるかもしれないと感じていますが、いかがでしょうか?

 放射線影響の問題は、社会的な問題と深く結びついています。自然科学の方法論で真実を解明するのは我々の役目であり義務ですが、その結果が社会の幸福や子どもたちの生きる力にどのように役立つのか、学校の先生や保護者をはじめ、社会と対話しながら研究を進めることができれば本当に幸せですし、そうでなければならないのだと思います。

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