コラム

ホーム > コラム

第34回

総合的リスク教育の中に放射線教育を取り込む試み(前編)

北海道大学名誉教授
杉山 憲一郎 氏

 私達人類は、材料技術の分野では石片・骨片利用の時代からスタートして、蓄積された科学的知識に基づき多様な無機・有機材料を作り出し今日の文明を築いている。情報技術の分野も同様である。狼煙の時代からスタートして、今日では地球全域で発信されている情報を瞬時に収集できるITシステムを日常的に利用している。一方、エネルギー分野では、木片から燃える化石への変遷があったのみで、“50万年以上遡る原人時代以来の火の利用”と変わらない酸化反応技術の利用を拡大し続けている。その結果、反応物であるCO2の排出量も急激に増大している。
 この酸化反応技術への依存度は今日でも約90%であり、21世紀の大きな課題の一つである地球規模での気候変動リスクを作り出している。このことは、エネルギー分野が「今日的科学の知識に基づくエネルギー技術」の有効活用に至っておらず、私達の文明全体に大きな歪みを作り出していることを意味する。今日的科学による技術とは原子力発電技術のことである。私達は放射線を特別視する余りこの技術のリスクを過大視してはいないだろうか。持続可能性を目標とする21世紀グローバル社会では、放射線生物学の最新情報に基づく細胞レベルの放射線リスクは経済・環境・エネルギーに大きく影響する地球レベルの気候変動リスクと比較して検討されるべきである。
 世界のCO2排出量は2010年時点で303億トンまで急増しており、1973年の第一次石油危機当時の2倍に達している。現在の70億人の世界人口で割ると一人当り4.3トンの排出量である。豊かな暮らしをしている約12億人のOECD諸国に限定すれば、国民一人当り10トンの排出である。例えて言えば、各人が重さ約1トンの小型自動車10台分相当のCO2を毎年大気に排出するという異常な行為であり、馬車を利用し馬糞とその臭いに溢れていた20世紀初頭の欧米の大都市文明を笑えない極めて深刻な事態である。このため、再生可能エネルギーの利用拡大を待っているだけでは、気候変動によるリスクの回避は到底できない。
 この観点から、福島第一原子力発電所事故直後に開催された通称BRICsと呼ばれている ブラジル、ロシア、インド、中国の第3回首脳会合では、“経済成長を維持しつつ、気候変動の課題に対処するためには、原子力の開発利用が最も有効との見解で一致し、安全性の強化など新たな決意で原子力を推進する”と宣言している。因みに、人口の多いこれらの国の国民一人当りのCO2排出量は、1.43億人のロシアで11.2トン、13.5億人の中国で5.4トン、1.95億人のブラジルで2トン、12.2億人のインドで1.4トンである。
 今日の状況は先進国での技術の進歩が作り出している訳で、当然のことながら、中国、ブラジル、インドに対して、豊かな暮らしを求めてOECD諸国並みの国民一人当りの排出国になるべきでないとは言えない。逆に、彼らに技術立国日本の立ち位置を指摘されているとも言える。
 先進国の中では、ドイツに先立ちスウェーデンの脱原子力が80年代に注目されたが、その顚末をほとんどの日本人が知らないと思われるので、ここで手短に紹介しておく。電力を原子力と水力発電に頼っていたスウェーデンは、米国TMI2号機事故後の1980年に“30年後の2010年までに12基の原子力発電所の全廃”を国会で決議した。この決議に従い、デンマークの首都コペンハーゲンに近いバーセベック発電所の2基が政治的に閉鎖されたが、30年目の2010年6月には脱原子力政策の撤廃法案が国会で可決されている。即ち、残り10基については、建て替えも含めて継続的に操業できる環境を再度整えることで世界史的実験を終えている。この撤廃の理由は、30年間待っても必要電力量、コストおよびCO2削減の要請に答えることができる代替電源が出現しなかったからである。
 注目度の高い先進国を対象に、福島第一原子力発電所事故以前の2010年実績で国民一人当りのCO2排出量を列記してみる。人口が940万人で、高レベル放射性廃棄物の最終処分候補地も決めて原子力発電と水力発電を半々で利用しているスウェーデンは5.1トンである。OECD諸国の平均値の半分を維持しており模範国である。6280万人のフランスでは、高レベル放射性廃棄物の最終処分候補地を決めて58基の原子力発電で約75%の電力を供給し5.5トンである。永世中立国として第一次、第二次大戦に巻き込まれることなく経済的繁栄を続けている770万人のスイスは、スウェーデンと同様に水力発電と原子力発電に頼り5.6トンである。なお、同国は、現在、3ヶ所の最終処分候補予定地を2か所に絞り込む作業を進めている。

後編を読む >>

Copyright © 2013 公益財団法人日本科学技術振興財団