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第33回

量的な概念を持つことの重要性

エコット政策研究センター代表
中岡  章 氏

春先にPM2.5がニュース番組を賑わした。「専門家の先生に伺ってみましょう」とのキャスターの言葉で次のような会話が始まる。「PM2.5とはどんなものですか?」『自動車や工場から排出された浮遊粒子で2.5ミクロン以下の極めて小さい物を表しています』「どのような危険性がありますか?」『微細な粒子の為に肺に入ったら出てきにくいため疾患の原因となります』。ざっとこんな感じである。これを聞いていた視聴者には「PM2.5は肺に入ったら危険なんだってさ。外歩きはマスクをしなければ・・・。中国はとんでもないものを排出したものだ」と思った人もいただろう。
 昭和40年代の日本はどうであっただろうか。当時はPM2.5というような名称はなかったが、排気ガスによる相当量の汚染があったのは事実であり、被害にあった人々は苦しみながら生き抜いてきたのである。
 私は長年、エネルギー環境教育に取り組んできた。最近では放射線教育にも多くの時間を費やすようになってきている。対象は小学生から寿学級まで、ありとあらゆる年代層の方々に向けて講演や授業を行ってきた。そこで常に気をつけてきたのは、聴衆となった人たちそれぞれが自分自身で判断頂けるような材料を提供するために、全力を投入することであった。
 そうした中でも、マスコミや知人などによってインプットされた情報が正しいとされて、幅広く説明した私からの判断材料を偏っているとして糾弾する方にも出会ってきた。このような判断の根底にあるのは、白黒をつけたがる物の見方にあると思われる。たとえば、PM2.5は気管や肺を侵すので危険。同様に電磁波は白血病に、紫外線は皮膚癌に、放射線は癌に・・・。
 そこには時間を含めて量的な概念は見当たらない。国民が知りたい情報を的確に伝えてくれるマスコミには、短い放送時間や限られた紙面の中で、それ以上の物を期待することは無理なのかもしれない。それならば聴く側が量の概念をしっかり持っていればと思うが、学校教育そのものが白黒をはっきりさせる試験で構成されがちなため、量の概念が醸成されることはなかなか難しい状況にあると思われる。
 例えば火傷を考えてみたい。短時間であれば45℃位の温度では火傷にならないが5時間も継続すると低温火傷になってしまう。一方100℃位ともなると短時間で火傷になるし、もっと高温の1000℃を超えると近づいただけで火傷症状となってしまう。重金属汚染で公害の原点として学校で習う、水俣病やイタイイタイ病であっても、病気を発生した人はかなりの量を摂取した結果であった。
 放射線についてみてみると、自然界には様々な放射性物質があり、放射線を出し続けている。しかもカリウム40のように体内にあり、そこから放射線を出している物もある。
 この地球が誕生して以来、我々人類は放射性物質があるという環境の中で暮らし、進化し、今の時代を生きている。本当に放射線が人体に危険であるならば、どうして我々人類は生き延び、歴史を築くことが出来たのだろう。自然界に存在する物は、放射線を含めて人体に害を及ぼすには必ず量と時間が関係すると言うことを忘れたくはない。
 こんな会話を耳にした経験はないだろうか。「これは毒であり、健康を害するものだ」とか「これは健康にとても良い」といった内容である。しかし実際のところは、良いというものもたくさん摂取すれば害が発生するし、悪いというものでも少量であるならば何も問題が無いこともある。私たちの身の回りの物は全て量と時間の関数で支配されていると言っても過言ではないであろう。
 これからもエネルギーや環境、そして放射線についての講師の機会があるたびに、量の概念を取り入れた話を続けて行きたい。そして、いったん間違った情報が発信されてしまうと、その情報が独り歩きし、結果として多くの人々に混乱を与えかねないという危険をはらんでいることも伝えていきたい。私たち生きる者にとって何よりも大事なのは、自分自身できっちりと判断できる力を持ち、正確な情報を探せることであろう。そうした国民が増えることを願ってこれからも仕事を続けていきたい。

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