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第32回

放射線授業 ― 何を伝えるか ―

東北大学
名誉教授
馬場  護 氏

 平成24年度は中学校の理科において放射線に関する教育が復活する元年となるはずでした。この教育のなかで、「放射線の性質と利用」(新学習指導要領)を学び、地球と宇宙、そして我々の生活が放射線と深く関わっていることを知ることで、子供達の科学リテラシーが向上することが期待されました。しかし、東京電力福島第一原子力発電所事故の発生によって、事情は一変し、放射線影響への不安に向き合うことが最優先課題になっています。放射線に対する不安は、風評被害の原因となり、福島県と周辺地域の復旧・復興に大きな障害をもたらしています。これを払拭するための努力が強く要請されています。

 私も出前授業や一般市民対象の勉強会等でそのお手伝いをしてきましたが、事故後は低学年を含む小学生への授業が大半を占めています。小さな子供達への授業の大切さは言うまでもありませんが、放射線はもとより、原子や原子核のことを全く知らない小学生に何をどのように伝えるべきなのか、考えさせられました。私なりの結論は、子供達が知りたいのは放射線そのものではなく、放射線の影響と放射線にどう向きあうかである、従って、彼らに分かる言葉と日常的になじみのある題材を用いて説明し、不安なく生活する手伝いをすることではないだろうか、というものでした。
 もう一点、気になったのは、がんや遺伝性影響などの確率的影響(という言葉は授業では使いませんが)をどう伝えればよいのか、です。「放射線はいくら少なくても悪影響がある」、「低線量被ばくの影響は分からない」という情報が十分な説明のないままにマスメディアやインターネット等を通じて繰り返し流され、放射線は特別危険なものであり、DNAに少しでも傷がつけばがんになったり遺伝的影響が生じたりする、という印象を多くの人に与えているのではないか、と心配されました。確率的影響に関するICRPの「閾無直線仮説(LNT)」からはこれらの情報が全くの間違いとは言え ませんが、「放射線の影響を避けることが最優先である」という方向に向かうと大きな問題になり、食品に関する風評被害やがれきの受け入れ反対などの行動に繋がっていると思います。一方、これに対して、LNTの考え方はあくまでも保守的な防護のための仮定である。」という説明は分かりにくくあまり説得力を持たないように思われました。
 やはり、子供を含めて納得してもらうには、放射線が決して特別なものではなく自然の一部として身近に存在する、我々は普段から放射線によって被ばくし、傷を受けているが人体に備わっている修復力が傷を常に修復している、ということを具体的に伝えることが重要ではないかと考えました。修復力については、軽い風邪やけがが自然に治癒することを子供の多くも経験しており、十分実感できるように思います。
 そして、改めて考えてみると上に述べたことは小学生のみでなく、放射線教育を受けてこなかった中高生や大人にもあてはまるのではないでしょうか。「人間はよく知らないものに不安を感じる」と言われることからも、分かりやすい、実感できるということは重要と思います。

 という次第で、私の授業では、1)身近なレントゲン写真を題材に、放射線がどのようなものでどこにあるか、2)人体への放射線影響の仕組みと修復力の役割、そして3)放射線被ばくを防ぐにはどうするか、汚染の状況はどうか、の3点を柱に据えた話をしています。また、霧箱の観測と簡易放射線測定器「はかるくん」などを用いた放射線測定を行い、放射線を実感してもらっています。霧箱の観測では、アルファ線が小さな粒子であることを実感でき、得体の知れない怖いものという放射線のイメージを払拭するのに効果的と感じています。放射線の測定も放射線を実感し、報道などの値を確認することで、安心感につながるように思います。
 話の内容は聞き手の年齢や時間の長さや地域性などによって変え、特に大人の場合は、子供や妊婦への影響、内部被ばくなど人体影響を巡る論点にも可能な限り触れるようにしています(補足b参照)。月並みですが、下記に内容を紹介します。厳密さに欠ける部分があることをご容赦下さい。

a) 放射線・放射能:レントゲン写真で使われるX線が人類が知った最初の放射線で、利用の拡大とともに多量に浴びると害があることが判明し、規制しながら使うという仕組みができた。放射線は地球、宇宙の誕生に関連し、環境や食物中にも存在し、人間は世界平均で自然界から年間2.4mSvの外部・内部被ばくをしている、日本では自然界から2.1mSv、医療から3.87mSvの被ばくがある。また、放射線は現代社会でさまざまに役立っている。

b) 人体影響:人体には修復力があるので、障害は通常の被ばくでは発現せず、短時間に多量の放射線を受ける時と修復の間違いや見落としが起こる時に発生する。現在懸念されているのは主に後者だが、修復の間違いや見落としで生じた異常細胞の多くは死滅や排除で除かれるため、発がんには何段ものステップがある。100mSv以下の被ばくでは致死がんの発生は認められていないが、あるとしても生活習慣など他の原因と同程度以下と考えられる。また、ゆっくりした被ばくでは修復力が効くと考えられており、実際自然放射線の強い地域の住民にも、健康上の問題は見出されていない。

c) 被ばくの防止:外部被ばくは3原則;距離、遮へい、時間、で減らすことができる。内部被ばくの場合でも、セシウムは数十日の生物学的半減期で体から排出され貯まり続けるわけではない。影響の低減にも栄養のバランスや運動が重要。
水や食材、食事に対する放射能検査、内部被ばく検査も行われ、福島県の場合でも内部被ばく線量は数10μSv/年以下程度と少ないことが分かってきている。線量の高い場所には注意しながらも、これらの現状を踏まえて行動する。

補足ですが、

a) X線利用の歴史を述べることは、失敗や事故を通じて放射線影響に関する知見が蓄積され、現在の防護体系が整備されてきたこと、従って、「放射線被ばくの影響は分かっていない」わけではないことを伝える意味があると思います。
また、中高生以上に対しては、放射線は電離作用を持つ粒子、電磁波であり、電離が放射線の作用の源であることを述べています。

b) 人体影響に関する論点に対する補足意見(先生方や一般市民に対して)

  • 低線量被ばくの影響については、4つほどの説がありどれが正しいかは確定していないが、全く分からないわけではなく、その差も大きいわけではない。
  • 内部被ばくによる被ばく線量はアルファ線、ベータ線を含めて生涯にわたって評価され、その影響はシーベルトで比べれば外部被ばくと同じように評価できる。(「ICRPは内部被ばくを無視している」とか「アルファ線、ベータ線の影響を考慮していない」などの主張に対して。)
  • 子供への影響が大きいことは間違いがないが、原爆被爆者や実効線量係数のデータを見ると10倍を超えることはなく、食品基準でも考慮されている。また、次世代への遺伝的影響も人間では認められていない。
  • 致死がんの原因は放射線だけではなく、放射線の影響を避けようとしたときに生じるストレスや生活の質の悪化等のリスクもその原因になり得るのでそのことにも留意して判断すべきではないか。
  • 1mSv/年という一般人に対する基準値は、危険と安全の境という意味ではなく、注意を喚起するレベルである。こうした基準値の考え方は水道水や食品の化学物質等、の場合と同様である。

c) 汚染の現状に関する話は、現状を知ることが安心に繋がるという面でも、さまざまな努力が行われていることを伝える面でも意味があると思います。

 

 放射線との向き合いは長期にわたると考えざるを得ませんが、根拠を示しながらより具体的に、なるべく日常的な言葉で伝えていくことが重要と思っています。

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