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第28回

「ふくしま」だからこそやらねばならない、「ふくしま」だからこそできる放射線・エネルギー教育

いわき明星大学 科学技術学部
特任教授
石川  哲夫 氏

 – 東日本大震災前後のいわき市における放射線・エネルギー教育  – 

○2011.3.11東日本大震災以前の取組み
 私の当時の勤務校、小名浜第一小学校は、2011.3.11大震災以前から総合的な学習で、6年生は化石燃料の特性と火力発電、放射性物質と原子力発電について専門家を招聘し、基礎学習や観察・実験、火力・原子力発電所施設見学学習等を実施していた。指導方針は化石燃料を扱う火力発電、そしてウランを扱う原子力発電、再生可能エネルギー利用も同じ皿の上に載せてそれぞれのベネフィット・リスク等、少資源国・日本のエネルギーの現状を理解させようということでエネルギー教育を推進していた。放射線については、教室の空間線量率や身の周りの物質である化成肥料や食塩、湯ノ花・ランタンのマントルなどを放射線測定器で測定していた。加えて、教材による遮へい実験や放射性物質から放出される放射線の量と距離の関係についてデーターをグラフ化する学習等も実施していた。学習の発展として、福島第一・第二原子力発電所等施設見学に出かけ、バスから降り、福島第一原子力発電所サービスホール玄関付近で、さっそく簡易放射線測定器「はかるくん」で測定し0.03μSv/hを検出していた。「原子力発電所なのに学校の0.05μSv/hより低いよ。」と、当時子どもたちは驚きの声をあげていた。ウラン鉱石に加え、ウラン燃料ペレットレプリカ、燃料棒・燃料集合体、1号機の原子炉と同じ大きさの原子炉模型を見学していた。バスで1号機の原子炉建屋付近に停車し、子どもたちは、職員から原子力施設概要について熱心に説明を聴いていた。原子力をテーマにして調べ学習を実施している班の子どもたちは、プルサーマルの仕組みも理解していた。

 

○2011.3.11東日本大震災当時の対応
 私は、いわき市小・中学校118校の校長会会長という立場にあり、午前中開催された中学校の卒業式に来賓として出席した。地震発生時、ちょうど児童は各地区担当教師に引率されて集団下校途中であった。経験したことのない激しい揺れで目の前の電柱が傾き、道路に屋根瓦が落ち、校門付近のコンクリート法面が崩落した。保護者のいない家庭へ子どもを帰宅させることは危険と判断し、咄嗟に引率教師達へ携帯電話をかけ、児童と共に全員学校校庭へ戻るよう指示を出した。立っていられないほど何度も余震が続き、しばらくして、港から船の汽笛が数多く鳴り響き、「津波がくるぞ!」という大声が聞こえ、やがて500人強の地域住民が、一斉に猛スピードの自家用車等で高台にある小学校をめざして集まってきた。学級担任は児童名簿にチェックを入れ、保護者に校庭で児童を引き渡した。避難者はそのまま体育館に入り、しばらくの期間、避難生活に入った。そして、次の日、福島第一原子力発電所1号機の原子炉建屋が水素爆発し、殆どの教職員が市外・県外へ避難した。3月14日の3号機の水素爆発により、道路から走行する自動車が消えた。普段混雑する幹線道路を、ガソリンの残量を気にしながら、私一人が道路を貸し切り状態で走っていたことが鮮明に脳裏に残っている。ガラスの破片等が散らばる校長室で、避難者や教育委員会はじめ各行政機関、市内地区校長代表等と連絡調整に当たった。

○2011.3.11東日本大震災以後の取組み
 やがて避難していた教職員も全員戻り、工事用足場が組まれ破損修復が完全ではない校舎・教室ではあったが市内全小・中学校118校で、2011年4月6日、なかば強行的に入学式を例年どおり行った。中学校は午後から入学式が予定されていたので、午前中に小学校の卒業式を行った。その時1ヶ月ぶりで登校してきた6年生児童達が、「先生、原子炉建屋の5重の壁でもだめでしたね、セシウムとかストロンチウム、ヨウ素など様々な元素が建屋以外から検出されていることから、原子炉、穴開いているのではないですか?」とか、「制御棒で核反応止めても冷やさないといけないんですね。」とか話しかけてきた。また、子どもたちはTVのニュースや新聞がよくわかると話していたことを覚えている。子どもたちは毎年、放射線学習や原子力発電所見学に出かけていたが、保護者の殆どは放射線学習や原子力発電所見学へ出かけたこともないのが現状である。保護者達からは、TVの原子力発電所事故に関するニュースや専門用語について、原子力発電を勉強していた子どもに解説を聞いていると話していた。

○2011年1学期スタート
 だんだん正常な教育活動が展開されるに連れ、市内小・中学校から原子力発電所事故前に計画した今年度のエネルギー教育を実践しようとしているが、原子力発電所事故があり、どのような学習展開にすべきかという相談が数多く、いわき市内のエネルギー教育実践校ネットワークリーダーを務める私に寄せられた。そこで、学習支援をいただいているエネルギー教育拠点大学、いわき明星大学の東 之弘教授へ相談をした。さっそく、ネットワーク会員であるエネルギー教育実践校教員50名あまりを大学に集め、今後の学習推進上の課題等について協議を実施した。原子力発電所事故があり、原子力をどのように扱うのか、火力発電所も甚大な津波被害を受け、施設見学学習ができなくなったことなどが話し合いの中心になった。特に、原子力発電所事故で避難し仮設住宅から通学している子どももいる中で、どのようにエネルギー学習を進めるかなど児童・生徒の心情に配慮する意見も出された。原子力発電だけ扱わないということではなく、むしろ事故の概要や正確な情報により、放射線教育をはじめ、なぜ日本は原子力発電所がこれほど増加してきたのかとか、過去の歴史も踏まえ、将来に夢や希望を持てる学習にしようということでまとまった。私は、2011年3月末に退職予定であった。福島県教育委員会より大震災・原子力発電所事故等により学校現場の教育運営が正常になるまで退職延期辞令が発令された。予定より4ヶ月遅れ、2011年7月で退職した。その後、大学に勤務することになり、学校現場の実態を知る立場から、大学としてできる放射線・エネルギー教育の支援活動を展開することになった。

○重要性増すエネルギー教育
 福島県教育委員会・いわき市教育委員会から教育現場に対して、放射線・エネルギー教育の重要性に鑑み、にわかに放射線教育実践の指示が出された。しかし、各学校では放射線教育等について、教師自身が学習してきた経緯がなく、基礎知識を持たないため、“笛吹けど踊れず”という状況になり、本学への放射線出前授業依頼が殺到した。パーシャルな放射線授業だけでなく、エネルギー教育と組み合わせて出前授業を実践してきた。その後、文部科学省や復興庁、エネルギー関係財団等から本学の取り組むエネルギー教育事業について採択になり、放射線教育、防災エネルギー教育、再生可能エネルギー教育等に鋭意取組み、事業計画に沿って着実に進めている。東日本大震災以前は、教育委員会や多くの学校は、エネルギー教育について今ほど関心が高くはなかったように思う。最近は総合的な学習のテーマに放射線・エネルギー教育を掲げる学校がかなり増加した。TVのスイッチを入れれば、ニュースや政治家の話に、エネルギー問題の出てこない日はないくらいである。

○放射線・環境エネルギー教育充実への近道
 学校現場からの放射線・エネルギー教育に関する出前授業の要請により、大学の授業の合間を縫って精力的に出前授業に出かけている。授業メニューは各学校のニーズに合わせて、放射線やエネルギーに関する内容について講義や観察・実験等体験活動を組み込んで授業を行っている。その数は、県内の小・中学校、高等学校数十校に及んでいる。  
 大学教員が児童・生徒へ出前授業を通して、こうした教育を普及・啓発していくことは、指導法が確立していない現状においては大切と思うが、より多くの子どもたちに普及させるには、各学校の教師が自校の児童・生徒へ直接指導することが近道と考える。教育界に『腹を空かした人に魚を与えるより、釣り竿や釣りのし方を教えた方が生き抜くことができる』という有名な格言がある。現状に於いて放射線教育は喫緊の課題であるので、とりあえず魚を与えるが、早急に釣り竿や釣りのし方を伝授する方が生き抜く力を身につけることができると考える。釣り竿や釣りのし方は正に教員研修により実践的な指導技術の獲得と考える。各主体がいくらすばらしい副読本や教材等を準備しても、子どもを指導する教師が興味関心を持たなければ、授業へ入っていくことはあり得ない。よって、学校現場の先生方に日本のエネルギーの課題を理解していただき、具体的な教材等の活用法等、実技研修会開催を意図的・計画的に行うことが放射線・エネルギー教育充実への早道と考える。学校現場においてこうした教育が軌道に乗るまでは、魚と釣り竿を持って積極的な支援を実施したい。日本全国が、世界が注目する「ふくしま」だからこそやらねばならない、「ふくしま」だからこそできる放射線・エネルギー教育と考え、アグレッシブに取り組んでいきたい。

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